ベト・ペレスのプロフィール
ベト・ぺレスは、ズンバ(Zumba)の創始者です。南米コロンビアに生まれ、若くしてダンサーになった後、アメリカに移住。フロリダ州のマイアミで、同じコロンビア出身の仲間とともにズンバを立ち上げました。英語名(スペイン語名)は、Beto Perez。日本語では「ベト・ペレス」です。(「ベト・ペレズ」ではない。)
年齢は何歳?
ベトは、1970年3月15日生まれです。つまり、2017年8月現在で年齢は47歳です。2020年3月で50歳になります。
出身
南米コロンビアの南部の都市カリに生まれました。カリは正式名称は「サンティアゴ・デ・カリ」。コロンビアで3番目に人口が多いです。カリ・カルテルという麻薬犯罪組織のあった場所でもあり、治安は決して良くありません。
生い立ち
ベトは、貧困な家庭に生まれました。母子家庭です。10代のころから働かなければならず、得意のダンスの才能を生かして、振付師やダンサーの仕事をしていました。その後、地元のダンス学校の奨学金を手に入れて、専門的なトレーニングをする機会を得ました。卒業後はダンスの講師として、サルサやジャズ、モダンサンスを教えていました。さらに、スポーツフィットネスの分野にも進出し、エアロビクスなどのダンス系エクササイズのインストラクターの仕事も始めました。
ズンバ誕生のきっかけ
ベトはある日、自分が受け持つエアロビクスのレッスンで、曲の入ったテープを忘れてしまいました。代わりに、車の中にあった音楽のテープを使うことにしました。ラジオを録音していたテープで、ベトが好きなラテンの曲が入っていました。レッスンが始まると、ベトは「テープを忘れた」とは言わず、こう切り出したといいます。「今まで温めていたとっておきの振り付けがあるから、今日はそれを特別に披露したい」。実際は即興でつくった振り付け(コリオグラフィー)でしたが、これが大好評だったことから、ベトはエアロビクスとは違う独自のクラスを始めることにしました。これが、「ズンバ」の始まりです。
当初は「ルンバサイズ」という名称
当初、ベトは自らのプログラムを「ルンバサイズ」と呼んでいました。(「ズンバ(Zumba)」という名前になるのは、ベトがアメリカに渡ってからです。)
シャキーラの振付師に
始めてから数か月でベトのレッスンは大人気となりました。それを聞きつけたのが、同じコロンビア出身の歌手シャキーラです。シャキーラは、メジャーデビュー作品となるアルバム「裸足のままで」で、ベトを振付師として採用しました。このアルバムで、シャキーラは世界的なスタートとなります。シャキーラの成功が、ベトに自信を抱かせことは間違いありません。
アメリカへ
2000年、30歳になっていたベトは、渡米・移住します。目的は、アメリカで成功を手に入れるためです。これまで蓄えた全財産をつぎ込んでの挑戦でした。
当時、まだベトは英語が話せず、スペイン語しか話せませんでしたが、アメリカンドリームをつかむために、海をわたったのです。
移住先としてベトが選んだのは、中南米系移民(ヒスパニック)の多いフロリダ州のマイアミ。ここで、ベトはスポーツジムを次々とたずね、自らのプログラム「ルンバサイズ」を売り込みます。しかし、なかなかうまくいきませんでした。
あるジムのマネージャーを熱心に口説いたところ、「じゃあ、俺を相手に一回やってみろ」と言われ、その場のスタジオでレッスンを開始。それを鏡越しに見ていたジムの会員たちが、「面白そうだ」と次々と入ってきました。その数は最終的に20人くらいに膨れ上がり、ついにレッスンが1件決まりました。
アルベルト・パールマンとの出会い
2001年のこと、ベトのクラスの参加者で、同じくコロンビア出身だった女性が、「自分の息子を紹介したい」と言いました。この息子は、アルベルト・パールマン(Alberto Perlman)です。
若き起業家
パールマンの父親は起業家であり、アメリカでも商売をしていました。そのつてもあって、パールマンは高校卒業後にコロンビアから米国に移り、マサチューセッツ州の大学を卒業しました。卒業後、仲間とともに投資会社(ベンチャーキャピタル)を設立。2年ほど活動しましたが、失敗に終わりました。
失業の身となったものの、若くして起業の経験があるパールマン。そして、斬新なダンス運動でファンを広げつつあったベト――。パールマンの母親によって、この2人の出会いが実現。母親は「ベトのプログラムをビジネスにしたら」と提案したのです。
ベト、パールマンの2人に、起業家アルベルト・アギオン(Alberto Aghion)が加わり、3人でフィットネスビジネスを展開することが決まりました。この3人がズンバの「共同創設者」となっています。
「Zumba」の名前が付く
ベトら3人は、「ルンバサイズ」いう呼称でなく、新しい名前を付けました。それが「Zumba」(ズンバ)です。Zumbaというは言葉は、正式なスペイン語には存在しませんが、コロンビアでは「お祭り騒ぎ」というような意味で使われていたようです。
会社「Zumba Fitness」の設立
2001年、こうして「Zumba Fitness, LLC.」が設立しました。
スタートは順調ではありませんでしたが、必死に営業を続けました。当時、流行していたエクササイズは、「ビリーズブートキャンプ」でした。ビリーズブートキャンプはとても難易度が高く、辛いプログラムだったことから、これに対抗して「楽しくなければ続かない」というスローガンを掲げました。
ケロッグのおまけでブレーク
ズンバがブレークするきっかけは、コーンフレークの会社ケロッグの商品のオマケに採用されたことです。ケロッグが自社の商品に、ズンバのDVDを付けて売ることになったのです。これで米国での成功のきっかけをつかみました。このとき、ベトの銀行の貯金は、10万円しかなかったといいます。
世界的な成功
ケロッグでの成功をきっかけに、ズンバはアメリカで急速に普及します。
海外へも進出し、2007年にはベトが来日。インストラクター制度が導入され、日本でもズンバのクラスがスタートしました。同年までに30か国に普及しました。2015年には185か国に広まり、1500万人の愛好家(毎週ズンバをやる人)を抱えるに至りました。
歌手としても活動
ベトは、ズンバで使用される音楽をつくるために世界のアーティストたちとコラボし、いくつかの曲には自ら歌手としても参加しています。
日本では、AISHAとコラボ
日本では、シンガーのAISHA(アイシャ)の魅力にいち早く目をつけ、ズンバの公式採用曲をコラボでつくりました。
・「メイク・ラブ」(MAKE LOVE)
https://www.youtube.com/watch?v=ZTCvFAV5r6c
・「フォーエバー・チュゲザー」(Forever Chugether)
https://www.youtube.com/watch?v=eAQ1Z9vYpQA
また、ベトが無名の時代に振付師として雇ってくれた同じコロンビア出身のシャキーラとは、ズンバの楽曲提供などの面において今でもかかわりがあります。
ベトシャッフル
ベトは振付師(コリオグラファー)としても活躍しており、「ベトシャッフル」「ベトセブン」などの簡単なダンスの動きを開発し、世界中に普及させています。
ベトのまとめ
名前 | ベト・ペレス(Albert "Beto" Perez) |
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立場 |
共同創設者 ズンバプログラムの開発責任者 インストラクター教育制度の責任者 |
出身地 | 南米コロンビアのカリ |
生年月日 (年齢) |
1970年3月15日 47歳(2017年8月現在) |